平成25年、五島市の地元紙「五島新報」に、
久賀島に越してきてから見聞きしたことなどを軸にして拙文を載せていただきました。
久賀島の今だけではなく、昔の久賀島も知っていただきたく、
許可を得てブログでご紹介します。
週一回ずつ全6回になりますが、よろしくお願いします。
平成25年10月12日(土)
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先人たちが長い時間をかけて築き上げてきた生活習慣や各種行事など、いわゆる地域の伝統が消えようとしている。昭和39年(1964)の東京オリンピック誘致が決定以後人口の都市集中化が進み、過疎化現象が始まり、多くの生業の変化と伝統が失われた。
比較的地域の伝統が残されていた福江島隣の久賀島でも、65歳以上の高齢化率は53.2%(9月末)となり、人口も400人を切った。その形や意味が時代にそぐわなくなったばかりか、その精神を伝える相手もいなくなってきたのだ。
上五島・若松島に生まれ、高校から五島を離れ、結婚して間もなく夫の里久賀島に移住して30年余。その間、公民館主事に長く従事したこともあり、久賀島全域の歴史や伝統、寺社仏閣などにも詳しい坂谷伸子さん(64歳)に久賀島各地の今を伝えていただく。
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養殖の魚の餌をつくるミンチ機械の音、漁協で働いているおばさんたちの笑い声、学校から聞こえてくる子ども達の声、沖へと急ぐ船のエンジンの音。そして魚の餌となるイワシの生臭い臭い。主人の故郷である蕨町に引っ越してきた昭和57年ごろ、町は活気に満ち溢れていました。しかし役30年が過ぎた今、高齢化に伴う人口減少、蕨小中学校の廃校などで、蕨町はひっそりと静まり返っています。
長年受け継がれてきた祭りや行事の中には、若者の減少で継続できなくなったものもあります。寂しい限りですが、仕方がないことでもあります。
[写真:1月1日]
「明けましておめでとうございます」。元日の朝早く、男の子たちは、それぞれ親戚や知り合いの家の玄関を開けて回ります。玄関を開けてもらった家では、お年玉を用意しておいて二日の日に「ヒュービッゼン」といわれるお年玉を渡します。男の子たちの声を聞くと、お正月が来たと嬉しく感じたものです。男の子がいなくなった今では、この行事もなくなってしまいました。女性だけの家では、しばらくの間は男性に玄関を開けてもらっていた家もありましたが、それもいつの間にかなくなったようです。
[写真:お墓参り]
今も続いている元日のお墓参り。最初は驚きましたが、亡くなられた方々と一緒にお正月を祝いたい気持ちが込められています。朝早く蒸しあげた温かい赤飯と水、線香などを持ってお参りします。お墓参りを済ませてから、家族はお正月の膳を囲むのです。正月三が日は外へ出てはいけないと言われる女性たちも、このお墓参りだけは例外で家族そろって出かけます。
[写真:まつり]
「鶴が舞う舞う この家の上で
この家繁盛と 舞い下がる
ハーエイヤー」
旧暦2月3日は、蕨神社の例祭が執り行われます。2年に一度の神輿巡行を取り仕切るのは青年団です。御神輿を担ぐために帰省する青年も多く、旧暦2月3日前後の土・日に例祭を行うようになりました。
祭りの前夜、御神輿は、獅子や天狗、小学生が担ぐ触れ太鼓などの先導で御旅所へとおくだりします。青年たちは、御神輿を守りながら御旅所で一夜を明かします。祭り当日、青年に担がれた御神輿は町内を巡行しますが、その時に歌われるのが「六調節」、担ぐときの掛け声は「ハーエイヤー」。
「ここは日向の高千穂の宮よ
早く行きたや 橿原へ(奈良橿原神宮)
ハーエイヤー」
道中、六調節を歌いながら御神輿を高く低く、右に左に揺さぶります。町内を4〜5班に分け、女性たちは御馳走を持ち寄り、班の世話役の家で御接待をします。御接待場所は、御神輿を担ぐ青年の休憩所ともなります。
先導する「はなとり」の「舞いこんだ〜」という掛け声とともに庭先に入り休憩をしながら食事をし喉を潤します。休憩が終わると「お立ちじゃ〜」という掛け声で御神輿を担ぎ、また町内を巡ります。町内巡行が終わると、船で漁場へ行き大漁祈願、海上安全祈願のお祓いをして戻ってきます。それから御神輿を担いだまま冷たい海へ入り、六調節を歌いながら大きく御神輿をゆさぶります。その後、お上りがあり、祭りは終わります。
[写真:まつり]
若者が多かった時代、未婚の女性たちは「処女会」と呼ばれ、竹で作った「やま」に入り、太鼓をたたき三味線をひき、歌を歌いながら賑やかに御神輿の後をついて回ったそうです。30年ほど前、復活してはどうかと、一度「やま」を再現したことがあります。未婚の女性が少ないために私たちも「やま」に入りました。残念なことに芸を引き継いでいなかった私たちは、太鼓もたたけず三味線もひけず、一旦途絶えた「やま」の継続は難しく一度で終わってしまいました。
[写真:祭り着物の子ども達]
御神輿の巡行は、帰省する若者や余所からの応援を受けて何とか続けていましたが、それさえも難しくなり、平成20年3月の神輿巡行を最後に中止と決定しました。お祭りのときに響き渡る六調節とハーエイヤーの掛け声、町内のみなさんたちの晴れやかな笑顔が懐かしく思い出されます。