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久賀島ブログ!

久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。 やぶ椿が島中に繁茂し、季節になると凛とした美しい花を咲かせ 島中を赤く彩ります。 一夜にして沈んだといわれる高麗島伝説や鬼伝説など、 伝説・伝承 の多い島でもあります。
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久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。人口約600人の小さな島ですが、 現在ボランティア活動が盛んで、 島作りのために島民が頑張っています。

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久賀島風土記(2) - 蕨町編(2)
平成25年10月26日(土)


 NHK朝の連続ドラマで一躍注目を集めた海女さん。20年ほど前までは、蕨にも大勢の海女さんがいました。普段は農業などに従事しているのですが、ウニ、テングサ、サザエ、アワビなどを採る時期になると海女さんに変身するのです。

[写真:ウニ割]
ウニ割

 蕨で大人が「泳ぎに行く」というのは単に泳ぐだけではなく、潜って何かを採ることだと知りました。黒いウエットスーツを着た女性たちが、潮を滴らせながら海から戻ってくる様は、とても格好よく見えたものです。現在も数人、時期になると潜る女性たちがいます。陸では足腰が痛いと言っている人も、そこは昔取った杵柄、海の中では自由自在に動き回ります。

 以前は海藻が生い茂り、ウニやサザエなどの海の幸が豊富だった海。海岸近くを小舟が通ると、スクリューに海藻が巻き込まれ、船外機を上げ海藻を取り外さないと走れないくらいでした。しかし現在では、あれほど茂っていた海藻が少なくなり、ウニもサザエもアワビも、そして魚さえも少なくなってきています。以前は町内を上の組、下の組、須ガ崎の3班に分け磯洗いをしていたそうです。その頃は人口も多く、海の幸も豊富でした。

[写真:蕨・養殖場]
蕨・養殖場

 今は、漁業の主体は定置網ですが、以前は1本釣りだけで生計を立てている人も多かったそうです。魚の養殖も盛んでタイ、ブリ、ヒラメ、トラフグなどのほか、大野という場所ではクルマエビも養殖していました。現在は福岡の会社がやっています。島に住み、農業や漁業など自然を相手の仕事をしていると「地球温暖化」を身に染みて感じます。

 60歳以上の女性たちが受け継いでいる「お大師堂のみもり」。当番にあたった人は、毎月7日、17日、20日、23日、28日の5回、お大師堂と高麗地蔵に果物とご飯、お茶を供え、お水を取り替え、掃除をします。彼岸やお正月、お盆に当たるとお団子やお餅を供えないといけません。

[写真:高麗地蔵]
高麗地蔵

 お釈迦様の誕生日(旧暦4月8日)の朝は麦ご飯を炊き、お釈迦様入滅の日(新暦2月15日)は、栗のご飯を炊きます。それぞれお釈迦様誕生図や涅槃図の掛け軸を掛け、ご馳走をつくり、お大師堂に集まっていただいた女性たちと食事をしながらひと時を過ごすのです。7日や20日などの日にちが、何を意味するのかも分からないまま、私たちは代々受け継いできたことを守っています。80歳で引退なので、当番が回ってくるのは早くなりそうですが、暫くは続けられそうです。30年、わずか30年で変わってしまった祭りや行事。そして日々の暮らしぶり。忘れてしまわないうちに、記録に残しておきたいと思います。

[写真:高橋さんと高麗焼き]
高橋さんと高麗焼き

 お大師堂のわきにお祀りしている高麗地蔵は、海に沈んだ高麗島から命からがら携えてきたお地蔵様だと言い伝えられています。言い伝えや物語を旅して本を書いておられる、探検家で作家の高橋大輔さんが、以前、調査のために高麗地蔵を訪ねて蕨町にやって来たことがあります。何度か久賀島を訪れていた高橋さんから、高麗島が沈んだという高麗曽根に行きたいという相談があり、地元の人たちも一緒に、平成15年6月高麗曽根を目指しました。



[写真:船から見えた高麗曽根]
船から見えた高麗曽根

 蕨を出発して暫くすると、島影は見えなくなってしまい、ただただ大海原が広がっているだけ。空と海だけを眺めていると突然、海底が浮きあがってきたように見えました。そこが高麗曽根だったのです。手に取るように見える海底は、大きな平たい石が重なりあっているようにも見えます。高麗島はあったとか無かったとか、いろいろな意見がありますが、大海原に突然現れた高麗曽根は、そのような議論は無意味だと感じさせるほど存在感あふれるもので、この時の感動は、高麗地蔵をもっと大切にお守りしようと思わせるに十分なほどでした。

[写真:恵剣寺ソテツ]
恵剣寺ソテツ

 五島藩の祈願所だった福見の恵剣寺。ご住職がいなくなった今では、福見の人がお寺を守っていますが、一人なので大変なご苦労をしています。昔は、お寺の入り口近くに大きなソテツがありました。子ども達は、そのソテツの枝の上を走り回っていたそうです。

 恵剣寺に行くと、「栄健寺」と書いてあるのが不思議でした。言い伝えによると、恵剣寺の歴代のご住職がなぜか短命だったために「栄健寺」と変えたとか。この恵剣寺の横を流れている小川の水は、眼病に効くというので、遠くから泊りがけで目の治療に訪れる人たちで賑わっていたそうです。福見の海岸には眼病治療に訪れた方々の船がひしめき合っていたと、亡くなられた福見のおばあちゃんに聞きました。今でも福見に行くと「お水」を汲んで帰りますし、「お水を汲んできて」と頼まれます。

 以前蕨では、どの宗派の人たちもお葬式が終わると初七日までは毎日、恵剣寺にお参りをしていました。舅姑が亡くなった時、私たち家族も毎日お墓参りに行きました。それほど恵剣寺は、蕨の人たちに大切にされています。しかし、台風の影響などで、屋根や雨戸などが傷んでしまい雨漏りがひどく心配です。そこで蕨の有志たちが、修理費用を捻出する方法を模索しているところです。
| hisakajima | 久賀島について | 09:19 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
旧五島藩士へ
東京麻布へ墓参りに行くように。

どきん
五島市に看護学校設立を。
二次離島に一万冊の図書館を。
| どきん@福江藩 | 2015/08/30 11:40 AM |
どきんさま

いろいろ考えて下ってありがとうございます。
| 坂谷伸子 | 2015/08/30 4:30 PM |
昔は、玉之浦湾も魚の養殖や真珠の養殖でにぎわったのですが、今では・・・と思っていたところにマグロの養殖が入ってきて、少しは湾内も賑わっています。
高麗曽根の話しは、ワクワクしますね。
ワシは、基本的に言い伝えとか信じる方で、「あったんだ」と思っています。
その証拠を探せないのは現代人の力不足。
先々、誰か見つけてくれるでしょう。
| シカリ | 2015/08/30 8:50 PM |
福江藩の人間は、五島市役所で戸籍が取得できますし、相続の記載もあります。
どきんちは曾祖父が隠居届を提出のうえ、祖父が家督相続をしています。
身分の記載はありませんでしたが。
| どきん@ご質問にお答えします。 | 2015/08/30 8:58 PM |
シカリさま
 どこも賑わってほしいですね。
 高麗曽根伝説は、本当に好きなお話です。
 曽根を実際に見ると、本当に感激しますよ。
 今でも思い出すと、お話の一節が浮かんできます。
 信じてくださってありがとうございます。
| 坂谷伸子 | 2015/08/31 11:11 PM |
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