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久賀島ブログ!

久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。 やぶ椿が島中に繁茂し、季節になると凛とした美しい花を咲かせ 島中を赤く彩ります。 一夜にして沈んだといわれる高麗島伝説や鬼伝説など、 伝説・伝承 の多い島でもあります。
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久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。人口約600人の小さな島ですが、 現在ボランティア活動が盛んで、 島作りのために島民が頑張っています。

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久賀島風土記(3) - 久賀編(1)
平成25年11月09日(土)




[写真:折紙神社巡行]
折紙神社巡行

 村社であった折紙神社例大祭は旧暦9月20日、21日に執り行っています。若者に担がれた神輿が神社を出発し久賀町内を巡行し、町はずれでトラックに載せられます。田ノ浦町と蕨町が抜け、現在では久賀、大開、市小木、猪之木、永里の5ケ町で各町内を巡行し折紙神社へ戻って来るのです。以前は島全体の人達が参拝し、大人の奉納相撲も賑やかでした。各町内持ち回りで御旅所を作り、神輿はそこで一夜をあかし二日かけて巡行していたそうです。しかし三年に一度行われていた神輿巡行は、平成13年11月7日を最後とし、現在は、子どもの奉納相撲だけが行われています。平成18年7月15日、八坂神社の祭りは久賀町内を巡行、大開にある柳坂神社は、平成15年10月15日がそれぞれ最後の神輿巡行となりました。

[写真:1980年奉納相撲]
1980・奉納相撲

[写真:柳坂神社神輿]
柳坂神社神輿

 折紙神社には、明治25年にお伊勢参りに行った地元の人が奉納したという三十六歌仙の絵馬が残されています。一部散逸していますが、今では古くなった絵馬を額縁に入れて大切に残しています。当時、お伊勢参りのお土産に三十六歌仙の絵馬を選ぶとは、さすがだと思いました。

[写真:伊勢]
伊勢

 20年ほど前に、久賀町の由緒ある家の襖を頂いて、襖の下張を取り出しました。その襖の下張に「天満宮建立歌に・・・寒梅と共にお宮も栄候利・・」とあり、中には「なべ代」などと支払が書かれています。風流だなあと思いました。また明治2年に京都から久賀島へ勅使が来たことも書かれています。勅使の理由は書いてありませんが「雑用帳」が残されています。ほかにも明治6年1月19日の「僧侶に対する太政官布告」もあります。これは、「僧侶の肉食妻帯蓄髪などを許可する」もので、比丘尼も同じくと書いてあります。久賀島の歴史解明に役立ててほしいと、襖の下張の文書をまとめたものは五島観光歴史資料館に寄贈しています。ぜひ読み解いて欲しいと思います。

[写真:2008年二十日正月]
2008二十日正月

 1月20日の「二十日正月」。久賀町内の皆さんが文殊堂に参拝し、禅海寺のご住職から経をあげていただいたあと、この日の歓談しながらのご馳走には、「ソーメン」がつきものです。知恵餅といわれる餅もついて、参拝者に配っていました。この知恵餅を食べると頭が良くなると言われています。昔は子ども達も多く、たくさんの餅をつくのでサツマイモの飴だったそうですが、何時からか小豆飴になりました。最近は、餅は配らずにお供えするだけになっています。

[写真:2007年二十日正月]
2007二十日正月

 昨年から久賀町内の女性達は、毎月24日を農休日として文殊堂に集まって一日を過ごしています。大勢で話していると、いい考えや知恵を聞けると言います。「昔の人達は、実際に体で体験しているから言うことに嘘がない」。お話を伺った女性から聞いた言葉です。文殊堂では「百万遍」の行事も行い、久賀町の皆さんの心の拠り所にもなっています。

[写真:禅海寺天上絵]
禅海寺天上絵

 350年以上の歴史を持つ禅海寺は、平成3年に建て替えられ、翌年の3月1日に落成式を行いました。門徒の皆さんは、新築の為の寄付集めに5年の計画を立てていましたが、2年で集まり早く新築することができました。藤山才蔵という画師が描いたという花鳥画の天井絵も残されていますが、これは明治13年に再建されたときに描かれたのだと言われています。久賀島では3月から「ふだうち」が始まりますが、禅海寺は札所の一つで島の女性たちが訪れます。

 「日本一の久賀の椿」と、久賀島の民謡「椿音頭」にも歌われている椿。昭和29年3月2日に、「久賀島村における椿樹・ウイキョウ樹伐採禁止に関する条例」を定め椿とウイキョウを保護しました。5月17日には、東京読売ニュース社のカメラマン一行を呼び、当時のミス椿による「椿音頭」も披露しています。12月には「久賀島観光八景絵葉書」を売り出すなど、椿と観光で久賀島の生き残りを図ろうと努めましたが、昭和32年に福江市と合併することになりました。

[写真:椿音頭・松井先生アトリエ前]
椿音頭・松井先生アトリエ前

 椿油は、昔は家庭用に使うほかは、お使い物にすることが多かったそうです。大開町内では、町内の人たちが合同で長浜(県指定椿原生林)に「カタシ(椿の実)採り」に行っていました。木に登り、時には木から木へ飛び移って採ったそうです。「どんざ」を着て、たすきをし、腰ひもを結び、採ったカタシは懐に入れるのです。木に登りやすく、また懐に入れたカタシが落ちにくいそうです。朝早くに出かけ一日で採り終え、採ったカタシは、大きなカマスに詰めて「カネナワ」という藁で編んだ縄で背負ってきました。戻ると全部を集めて、カタシ採りに行った人達全員で平等に分配しました。人口が少なくなった現在は、どこの町内でも合同で採ることは無くなり、それぞれ個人的に採り、家庭用にする以外には農協などに販売しています。

[写真:カタシ採り服装]
カタシ採り服装

 つい最近まで、サツマイモでもマキでも、大きなものはすべてカネナワ1本で背負っていました。私も試してみましたが、要領が悪いために縄が首を絞めたようになり背負うことができませんでした。
| hisakajima | 久賀島について | 09:29 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
どきんちの御先祖はF家のひとなんですが、
戸籍住所が「久賀島村○○番地」となっております。
もちろん家督相続や退隠の記載もあるよ!
明治35年の協議離婚とかも載ってまして、いやはや興味深い。
| どきんちゃん@聖路加関係者の方いらっしゃいますか? | 2015/09/06 12:22 PM |
どきんさま

明治35年の協議離婚なども載っているんですね。
| 坂谷伸子 | 2015/09/06 7:06 PM |
こんにちは…!
久賀者と名前を打ち込んでいましたが
久賀島に住んでいるわけではないのに久賀者は少し気兼ねさを感じるので名前を変えます。
久賀島風土記、とても興味深く楽しく読ませていただいています!
久賀島のいろいろな文化を知れてとてもうれしいです。
同時に自分の今住んでいる場所の文化や歴史を自分はどれだけ知っているのだろう。とも思いました。
地元の歴史ももう少し知ってないといけないなと思いました…!
残りの久賀島風土記、楽しみにしています。
| てるてる坊主(久賀者) | 2015/09/07 4:28 PM |
協議離婚、載っています。
久賀島の山口家と離婚したらしい。
協議離婚だから、財産があったんでしょうね。
| どきんです。 | 2015/09/07 8:48 PM |
てるてる坊主(久賀者)さま

住んでおられなくとも、久賀者でいいですよ。気兼ね感じる必要なし・・・です。
久賀島風土記を読んでいただき、ありがとうございます。
長文なのでブログではどうかなと思いましたが、少しでも久賀島を知っていただきたく載せています。
読んでいただき、本当にうれしいです。

私が生まれた場所は、新上五島町の若松島というところです。
久賀島は、故郷と違うことが多々ありまごついたりしましたが、今では久賀島が大好きです。今後もよろしくお願いします。
| 坂谷伸子 | 2015/09/08 7:18 AM |
どきんさま

久賀島の出身ではないので分かりませんが、いろいろなことが昔もあったんですね。
| 坂谷伸子 | 2015/09/08 7:20 AM |
二十日正月にソーメン。
懐かしいです。
子どものころは、よく聞いていたのですが、いつの間にかなくなっていました。
ミスツバキや椿音頭は昔からあったのですね。
久賀島さんたちが作ったのかと思っていました。
| シカリ | 2015/09/08 2:09 PM |
シカリさま

久賀島村の時代、当時の方たちが村の存続のために考え抜いたことの一つが「椿音頭」なんです。私たちは、その椿音頭を楽しみながら残していこうと思っています。
| 坂谷伸子 | 2015/09/08 9:20 PM |
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