blog index

久賀島ブログ!

久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。 やぶ椿が島中に繁茂し、季節になると凛とした美しい花を咲かせ 島中を赤く彩ります。 一夜にして沈んだといわれる高麗島伝説や鬼伝説など、 伝説・伝承 の多い島でもあります。
<< 久賀島を訪れる人が多くなってきました | main | お神輿を担いでくださる方を募っています >>
久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。 やぶ椿が島中に繁茂し、季節になると凛とした美しい花を咲かせ 島中を赤く彩ります。 一夜にして沈んだといわれる高麗島伝説や鬼伝説など、 伝説・伝承 の多い島でもあります。
2018年(平成30年)6月30日、久賀島は集落全体が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産となりました。1881年(明治14年)に、久賀島の仏教徒の大工さんが建てた旧五輪教会堂や、牢屋の窄殉教記念教会堂、そして島の人たちが手づくりした「島民手造り展望台・折紙展望台」、四季折々変化する美しい風景、そして温かい人情などなど。魅力にあふれた久賀島へ一度いらしてくださいませんか。
↓公式ホームページはこちら
>>久賀島<<
久賀島風土記(4) - 猪之木町編
平成25年11月23日(土)




[写真:猪之木・石神神社]
猪之木・石神神社
猪之木町は、猪之木、永里、深浦、細石流の地区からなります。
「山紫で水清き、誰がつけたか重別当と、とってもいい名がついたもの」。猪之木出身の山田徳幸さんがつくった「猪之木名所古跡めぐり甚句」の一節です。猪之木は、もとは重別当と言ってましたが、いつの頃か猪之木と町名を変えました。良い名だったのにと、少し残念な気がします。「山紫で水清き」と歌われている通り、季節になると蛍が乱舞し島の人も蛍狩りに訪れます。猪之木の人達は、川を汚さないように気を付けていると聞きました。「村の鎮めは石神で・・。村を興した地盤様・・。山城荒神さんは、法螺貝吹いて村回り・・」と甚句は続きます。猪之木は、少し歩くと神社や祠に出会う所です。

[写真:巌屋の観音.お参り]
巌屋の観音.お参り

[写真:巌屋の観音洞窟]
巌屋の観音洞窟
「観音経やらご心経、唱えますればあらたかや、岩より出る水の音、十八日がご命日、老若男女が詣ります」。山中にある巌屋の観音は1月18日と9月18日が命日で前日から観音堂に籠ります。私がお邪魔したのは、平成14年1月17日の夜でした。洞窟の中の観音様の前には蝋燭が灯り、果物やお餅、お菓子などが供えられ、裏手で水が滴ります。真っ暗な山中に、ご心経やご詠歌、鈴の音、そして発電機の音が響いていました。夕食の時間には、ご馳走が並んだテーブルを囲み昔話に花が咲きます。服を脱いで頭に載せ、沖の瀬まで泳いで夜釣りに行ったこと。それぞれの瀬には名前がついていて、そこで釣る人は決まっていたこと。鹿は合歓の木が好きなのか、殆ど鹿が皮を剥いでいること。話題は、次から次へと広がり楽しいひと時でしたが、この夜籠りも若い人が少なくなり、今では参道や観音堂の掃除をして、お参りをするだけになっています。また誰が塗ったのか、観音様をはじめ仏像が極彩色に塗られてしまい猪之木の人達は、とてもがっかり。綺麗に塗り分けていいるので悪戯ではないのだろうと諦めましたが、色を落とすこともできずに困っています。

[写真:巌屋の観音・岩から水]
巌屋の観音・岩から水

[写真:巌屋の観音]
巌屋の観音

 2隻の船が左右に分かれ、網を入れながら陸へと向かいます。陸の近くまで来ると、船に固定している「かぐらさん(ろくろ)」を回し、網を引き揚げます。9月から11月まで、深浦ではこの漁法でカマスを獲っていました。かぐらさんを船に積むことで、何処ででも網を揚げることができ漁獲高も多く、深浦はカマス漁で栄えました。今では網を使ったカマス漁はなくなり、魚群探知機を付けた小舟で釣る人が多くなっています。

[写真:昔の芝居(久賀)]
昔の芝居(久賀)

 また深浦では、復員してきた軍隊の演劇部にいた人から指導を受け、祇園祭りや旧暦のお盆の時などに芝居を披露していました。塩浜神社横に作った舞台の上には船の帆を張り、明かりはガスランプでした。花道や一段上の場で演技する時には、カーバイトランプでさらに光を当て顔が分かるような工夫もしていました。終戦後は、どこの地区にも旅回りの芝居が回ってきたので、その芝居もお手本にしたようです。前狂言、中狂言、後狂言と三部に分かれ、その幕間に女性たちは股旅物を踊り拍手喝采を浴びました。他に娯楽がなく仕事の合間に練習を重ね、演技する人も観る人も、大人も子どもも共に楽しんだ時代でした。

[写真:深浦・塩浜神社]
深浦・塩浜神社

「表彰状 細石流水稲早期栽培研究会」。昭和33年12月22日に、当時の鳥山豊吉福江市長からいただいた表彰状です。つい最近まで、五島列島は台風の通り道でした。稲の花が咲くころに台風がくると、稲が実らず収量が半減し農家は泣かされていました。そのような時に水稲の早期栽培を新聞で知った川端さん(現在久賀町の川端商店)は、長崎県農業普及員の田代さんに指導を仰ぎ早期栽培に取り組むことにしたのです。最初に集まったのは、四、五人くらいでした。細石流の骨噛(ほねがみ)地区の田圃に共同で種を播き、苦労に苦労を重ねた末に早期栽培に成功することができたのです。田代さんは、つきっきりで指導をしてくれました。台風が来る前に収穫できる早期栽培は、久賀島全域に広がり、普通栽培の時は、玄米60キロ袋で500俵位だったのが、早期栽培では1200俵になったこともあったと、当時農協に勤めていた大戸次雄さんは述懐しています。
| hisakajima | 久賀島について | 01:15 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
よく誤解があるのですが、五島は長崎県ですが原爆を直接受けていないので、土地・戸籍ともに記録が残っています。
溝口が長崎で亡くなったから、勘違いしているのかな。
どきん家も久賀に付き合いのない地縁血縁多々あります。
漁師は出征こそしていないけれど、戦時中も貢献していましたよ。
| どきん@身内いろいろ | 2015/09/14 6:48 AM |
だいたいあっこの16男はどきん家が頼んできてもらったワケぢゃないから。
他人だから。
| どきん@城山神社 | 2015/09/14 7:23 AM |
石神神社にしても岩屋の観音様にしても素晴らしいですね。
猪之木町は、細石流までだったのですか。
それにしても、骨噛という地名は興味をそそられます。
あ〜、今年も行けないのかな〜。
なんとかせねば。
| シカリ | 2015/09/14 9:01 PM |
どきんさま

コメントありがとうございます。
個人的なことには、立ち入れませんので私のコメントは差し控えさせていただきますね。
いつもご覧いただきありがとうございます。
| 坂谷伸子 | 2015/09/15 1:41 PM |
シカリさま

久賀町も範囲が広いですが、猪之木町は、もっと広範囲です。
町内会としては分かれていますが。私は、越してきた当初は、町内会と町が、ごちゃまぜになっていました。
骨噛は、大きな波が打ち寄せるところです。
積んであるマキが、波で現れ櫛の歯のようになる・・と書いてありましたが、由来をよく調べたいと思っています。

今年は、椿まつりにいらっしゃいませんか。
| 坂谷伸子 | 2015/09/15 1:46 PM |
コメントする


この記事のトラックバックURL
http://blog.hisakajima.com/trackback/893046
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

bolg index このページの先頭へ