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久賀島ブログ!

久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。 やぶ椿が島中に繁茂し、季節になると凛とした美しい花を咲かせ 島中を赤く彩ります。 一夜にして沈んだといわれる高麗島伝説や鬼伝説など、 伝説・伝承 の多い島でもあります。
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久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。人口約600人の小さな島ですが、 現在ボランティア活動が盛んで、 島作りのために島民が頑張っています。

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久賀島風土記(6) - 田ノ浦編
平成26年1月11日(土)


 久賀島の玄関口である田ノ浦町。司馬遼太郎の小説「空海の風景」には、西暦804年、空海が乗った遣唐使船が田ノ浦を出港したと書かれています。田ノ浦で水と食料を積み、船体の修理をしつつ風を待ったと。現在でも天然の良港ですが、昔はもっと奥まで湾が広がり、大きな帆船が入って来ていたと聞きました。

[写真:田ノ浦湾 山口先生写す]
田ノ浦湾 山口先生写す

 平安後期に比定される木造仏、14世紀後半頃に関西で制作された五輪塔、明応6(1497)年と刻まれている木造仏など、数多くの遺物が残されている田ノ浦。これらは「海上で活動していた有力な勢力が田ノ浦や、その周辺にいたことを示している」と、長崎歴史資料館の大石一久先生は言います。

 その昔、田ノ浦はキビナ漁が盛んな地区でした。元々は刺網でしたが、明治39年に地曳網が始まり、刺網は廃業へと追い込まれていったと伝わります。有力者が組織した甲組と乙組で漁は行われ、田ノ浦の人達はキビナの加工を請け負っていました。煮干しに加工したキビナは、菰で作った俵に詰めていましたが、内海岩美さんは「中国へ送る」と聞いていたそうです。蕨町では、干しアワビを中国へ送っていたと聞きました。

 最初、地曳網の「かぐらさん」は陸に作っていました。そのために豊漁の時に網を引き寄せると、キビナが死んでしまい捨ててしまうことも。そこで、昭和30年〜40年頃に田ノ浦湾の一番奥の海の中に新しい「かぐらさん」を作り、引き寄せた網が海中にあるように工夫しました。それからは豊漁の時でも、キビナは生きたまま獲ることができるようつなりました。最初は、茹でたキビナを金網ですくい棚に広げて干していましたが、型崩れがしていました。その後、四角い木枠に金網を張りキビナを載せ、四角い窯で茹でることで型崩れは無くなりました。その頃になると、中国へ送らなくなっていました。今では、キビナ漁自体が無くなっています。

 現在は荒れ野となっていますが、田ノ浦にも田圃があり稲作も盛んでした。山の上まで段々畑もありましたが、今では山に戻ってしまい、当時を偲ぶことができるのは石垣の跡だけとなっています。

[写真:供養どん]
供養どん 供養どん

 2月9日に、「供養どん」と呼ばれる行事があります。亡霊が出て困るので、それを鎮めるために始まった行事です。9日の早朝、町内会長が「米・塩・魚・お神酒」を町内の七か所に供えて回ります。それが終わると、田ノ浦の入口にある供養塔の前で禅海寺のご住職に経をあげていただき、地域の皆さんは大きな数珠を繰りながら念仏を唱えます。昔は百万遍と言って、ご高齢の男性たちが各家を回っていましたが、今では供養塔の前で唱えるだけになりました。友引の日のお葬式は忌み嫌われますが、田ノ浦では、この供養塔を祀ることで友引の日でもお葬式をしていいと言われています。

[写真:石灰を焼いた窯]
石灰を焼いた窯

 明神社へ行く途中に、レンガ造りの変わった建物があります。昭和30年代に、田ノ浦で「カセ」と呼ばれているサンゴを焼いて、石灰を作っていた窯の跡です。海に潜ってサンゴにワイヤーをかけ、舟に取り付けたウインチで巻き上げ、数日間乾燥させて焼きました。農業用のほかに漆喰にも使っていたようです。しかし、石灰作りは長くは続きませんでした。今でも、当時引き揚げたサンゴが海岸に残きれています。当時は小店も3軒ほどあり、現在のひっそりとした田ノ浦からは思いもよらないほど賑やかで、進取の気質に富んだ地域でした。

[写真:カセ(サンゴ)]
カセ(サンゴ)

[写真:松井画伯展覧会・開会式]
松井画伯展覧会・開会式

 フランス・コルシカ島を本拠地としている松井守男画伯は、田ノ浦にもアトリエを構えています。フランス本国でレジオン・ドヌール勲章を受章し、フランスの代表画家であり、また展覧会には中日フランス大使が必す列席するほどの画伯が、なぜ久賀島にアトリエを構えたのか。松井画伯は、高見大司教から久賀島の牢屋の窄のことを聞き久賀島を訪れました。そこで目にしたのが、ヨーロッパの濃いプルーの海とは違う、グリーンが混じった海でした。山の緑が映えた海の色に感動し、久賀島にアトリエをと決めたそうです。松井画伯は、折に触れ久賀島の美しさを伝えています。

[写真:椿まつり]
椿まつり

 田ノ浦港の近くの「椿の里」。平成7年に設立したボランティアグループ「久賀島やぶつばき会」の活動拠点です。亀河原海岸清掃や椿林の整備、今年からは里山保全の活動も始めました。毎年「久賀島椿まつり」を開催。田ノ浦の方々をはじめ、島の皆さんのご協力で、今年は2月22日、23日に開催します。人口減や高齢化にも挫けず、まだまだ続けていきます。

[写真:椿まつり]
椿まつり
| hisakajima | 久賀島について | 23:43 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
閲覧済み(未承認)
| 奈留島城山家 | 2015/10/01 5:08 AM |
田ノ浦、海上から見るのがほとんですが、高い所から見る風景は、また、格別ですね。
空海の寄港と言い、松井先生の居住と言い、なにか、土地の力を感じますね。
| シカリ | 2015/10/03 8:56 AM |
シカリさま

25年ころまでは、浜脇教会近くの峠から山へ上る道路がありました。今では木や草が生い茂って上ることができません。
とってもいい景色だったんですが、残念です。
| 坂谷伸子 | 2015/10/03 3:37 PM |
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