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久賀島ブログ!

久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。 やぶ椿が島中に繁茂し、季節になると凛とした美しい花を咲かせ 島中を赤く彩ります。 一夜にして沈んだといわれる高麗島伝説や鬼伝説など、 伝説・伝承 の多い島でもあります。
久賀島は、長崎県五島列島にある馬蹄形の美しい島です。 やぶ椿が島中に繁茂し、季節になると凛とした美しい花を咲かせ 島中を赤く彩ります。 一夜にして沈んだといわれる高麗島伝説や鬼伝説など、 伝説・伝承 の多い島でもあります。
2018年(平成30年)6月30日、久賀島は集落全体が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産となりました。1881年(明治14年)に、久賀島の仏教徒の大工さんが建てた旧五輪教会堂や、牢屋の窄殉教記念教会堂、そして島の人たちが手づくりした「島民手造り展望台・折紙展望台」、四季折々変化する美しい風景、そして温かい人情などなど。魅力にあふれた久賀島へ一度いらしてくださいませんか。
↓公式ホームページはこちら
>>久賀島<<
昭和53年当時の久賀中学校と現在の久賀小中学校
昭和53年に久賀島を訪れた向後さんから、当時の写真を沢山いただいていました。
以前、昭和53年の、まだ黒く塗られていた浜脇教会をご紹介しました。

現在の久賀小中学校です。
久賀小学校と中学校が統合されました。

昭和53年当時は木造校舎でした。
学校の前の道路から、階段があったように記憶しています。

現在の道路から写真を撮ると、このようになります。
校舎の前に運動場がありますし、塀があります。

次の写真は、久賀町の人にお聞きしたところ、やはり学校だということでした。
運動場が少し見えます。
現在とは、大分違います。

場所が少し違うかもしれませんが、現在の学校の雰囲気はこのようになります。
統合した時に、久賀小学校にあった「二宮金次郎」の像を移築しました。

大開の風景写真もいただいています。
しかし、何回か写真をとりにいきましたが、どこから写したのかまだわからないでいます。
微妙に山の形なども違います。あまり変わらないような久賀島も、やはり少しずつ変化しているんですね。
現在、雨の合間を縫って稲刈り中です。
ブログを更新できない日々ですが、もうしばらくお待ちください。
| hisakajima | 久賀島について | 00:20 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
携帯電話が繋がりにくくなっています
久賀島は、4日前から携帯電話が繋がりにくくなっています。
工事にはいらしていますが、まだ電波が一定しないようです。
| hisakajima | 久賀島について | 07:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
NBCで松井守男画伯放映
・・・・アップル 午前9:55〜10:50・・・・・





7月3日、NBCアップル(http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/tv2/apple/)で、松井画伯の久賀島田ノ浦での制作風景などが放映されます。

松井画伯は、旧田ノ浦小学校を日本でのアトリエとしています。



田ノ浦小学校は、明治8年9月に創立されました。(田ノ浦小学校閉校記念誌参照)

児童は、10名余とあります。巡回教師が授業を行っていたとあります。

田ノ浦小学校

[田ノ浦小学校]

児童数が一番多いのは、昭和40年の69名です。

昭和63年3月に閉校となりました。

閉校当時の児童は、男子5名、女子3名です。

その後「青少年自然の家」として活用されましたが閉鎖となり、現在は松井画伯がアトリエとしています。

久賀島には、この田ノ浦小学校のほかに、蕨小中学校、久賀小学校、久賀中学校がありました。

しかし、児童生徒の減少により、現在は「久賀小中学校」の一校だけとなりました。

田浦小学校

[田浦小学校]



・田ノ浦小学校 校歌

 1 みどりにはゆる 田ノ浦の

   光あふれる 窓の中

   明るいあすの のぞみこめ

   松風におう  わが母校

 2 ふるき歴史の との川の

   すめる泉に はぐくみて

   鐘なる庭に つどうとき

   こずえさやかな わが母校

 3 ちかいは固く ともどもに

   あすをにないてたくましく

   今日のはげみにこころ足り

   海にささやく わが母校
| hisakajima | 久賀島について | 00:18 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
田ノ浦神社について
以前、田ノ浦神社の鳥居は海の中にありました。
昔の田ノ浦神社
[昔の田ノ浦神社]
田ノ浦は、自然の砂洲に囲まれた良港で、古代から人の往来があった場所だと言われています。
五島歴史資料館の資料や、司馬遼太郎の「空海の風景」などによると、ここ田ノ浦に、遣唐使船が風待ちのために立ち寄ったと書かれてあります。
その遣唐使船には、空海も乗船していたそうです。
五島氏の前身宇久氏の祈願社として建設されたとも伝えられる田ノ浦神社。
定期船で久賀島に渡る時に、田ノ浦湾の右手に見える神社が田ノ浦神社です。
この田ノ浦神社は、明治まで続いた「神仏習合」の名残を残してある神社でもあります。
現在の田ノ浦神社
[現在の田ノ浦神社]
だいぶ傷んでいた鳥居は、道路工事の際に取り払われました。
鳥居で人やものを傷つけてはいけないという判断でした。
そして鳥居は、神社のすぐ前に建てられています。
現在の神社の鳥居
[現在の神社の鳥居]
久賀島は、人口が少なくなり、神社などを修理するにも、祭りを持続していくにも大変な苦労が伴うようになりました。
この少ない人口で、久賀島の様々なものをいつまで持続していけるのか・・・・・。
現在、島民は試行錯誤しています。
| hisakajima | 久賀島について | 04:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
久賀中学校区の還暦同窓会が開催されることになりました。
その同窓会開催に思いを込めた詩が寄せられましたので、ご紹介します。
折紙の立岩の写真は、久賀島出身の紙崎さん撮影の写真です。
田ノ浦と久賀湾の写真は、光りあふれる3月3日の海です。

久賀湾
[久賀湾]

田ノ浦の海
[田ノ浦の海]


 還

こうして約半世紀という年月を経て同窓生と語れる
「還暦」というのは何なのでしょう

私たちは皆、大海に漕ぎ出す生き物だとします
出発のときは少年・少女だったのに
しょっぱい潮風や強い日差しに焼かれ
春夏秋冬を何十回も繰り返す

凪の日もシケの日も
生きるためのたたかいを続け
病に倒れる者や嵐にやられ海に投げ出される者
出港したときの面影は誰一人ない

いくつもの危機を通り抜けて
やがて海の旅も終わりに近いことを知る
そこで振り返り
出発した港にもどってくる

それぞれの思いや宝ものを
胸に宿しながら
いっとき語り合い笑いあう
-----よくぞ戻ってこれたと

    久賀中学校区還暦同窓会によせて   外輪


折紙・立岩

折紙・立岩
[折紙・立岩]
| hisakajima | 久賀島について | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
棚田のご紹介
昔は、山の上まで棚田や段々畑だった久賀島。
最近は、人口減少により手入れができずに山となってしまった畑や田んぼもあります。
昔の棚田、今の棚田などをご紹介します。
浜脇教会建設途中
[浜脇教会建設途中]
まず、昭和6年の建設途中の浜脇教会の山手をご覧ください。」
棚田か段々畑かわかりませんが、見えますか。
浜脇修道院の近く
[浜脇修道院の近く]
今でも修道院の周りなどに畑がありますが、花を植えている畑もあります。
内上の棚田
[内上の棚田]
次は内上平の棚田です。
もう一か所、棚田がありますがいい写真がないので、後日ご紹介します。
大野浜の棚田
[大野浜の棚田]
蕨の大野海岸から山手の棚田です。
数枚ご紹介しますので、ご覧ください。




| hisakajima | 久賀島について | 00:42 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
秋田のナマハゲ伝説と久賀島の鬼伝説について
以前のサイトの文章をアップしなおしました。

>>秋田のナマハゲ伝説と久賀島の鬼伝説について<<
| hisakajima | 久賀島について | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
昭和39年か40年ごろの写真
久賀島のブログをご覧いただいている梅木晃さんから、昔の写真を送っていただきました。
梅木晃さんは、昭和29年生まれです。
当時の浜脇教会の写真。
壁が黒く塗られているのが分かります。
戦時中に敵機の標的にならないように黒く塗ったと、信徒の方々から聞きました。
現在では、元通り白く塗り替えています。
浜脇教会
[浜脇教会]
お父様は、久賀中学校で教鞭をとっておられたそうです。
次は小学校の運動会の写真です。
2クラスあったそうです。多かったですね。
懐かしく思って下さる方もいらっしゃるのでは・・・。
久賀小・運動会
[久賀小・運動会]
次は、山口善兄さんからいただいた写真です。
いつごろの写真かは不明です。
2枚とも、浜脇の海岸の道路だとお聞きしました。
遠足の時の写真でしょうか。大勢の子ども達が映っています。

次の写真では、田ノ浦の山が頂上まで切り開かれ畑になっている様子が分かります。
昔の方々は、本当に辛抱強く小石を積み、耕して畑にしたんですね。
頭が下がります。

昔の久賀島のことをご存じの方は、教えてくださいませんか。
よろしくお願いします。
| hisakajima | 久賀島について | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
久賀島風土記を連載します
・・・・五島新報社 10月12日 第164号より・・・・・・
新聞

五島新報という地方紙に、「久賀島風土記」という記事を連載することになりました。
第1回目は蕨地区を取り上げました。
これから何回かに分けて、久賀島全域の伝統や暮らしぶりなどを書かせていただきます。
久賀島に住んで約30年。その30年の間に見聞きしたことを中心にしながら、
それ以前のことも書いています。
久賀島出身ではありませんので、昔のことは地域の皆様にお聞きしています。
五島新報には、五島列島全域のニュースが詰まっていますので、一度お読みになってみませんか。

五島新報社  
 TEL  0959−72−8585
 FAX  0959−72−8898
 eメール gotoshinpo@lagoon.ocn.ne.jp
毎月第2、第4土曜日発行
| hisakajima | 久賀島について | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
細石流教会について
細石流教会跡
[細石流教会跡]
久賀島の細石流地区の山の上に教会はありました。
鉄川与助氏の設計施工で、竣工は大正10年です。
瓦
[瓦]
白い椿のレリーフが美しい教会だったそうです。
細石流教会は、人口減のために昭和44年に廃止されています。
細石流教会ステンドグラス破片
[細石流教会ステンドグラス破片]
私が久賀島に移り住み、教会を見にいった時には、すでに教会はつぶれていましたが、少し屋根が残っていました。
その時にはカメラを持っていかなかったので、残念ながら写真をとることができませんでした。
それから何度も教会に上り、写真をとりましたので、いくつかご紹介します。
細石流教会
[細石流教会]
教会が建っている写真は友人から拝借したものです。
男性用トイレ?
[男性用トイレ?]
男性用のトイレは(だと思います)、陶器で作られていたようで、きれいな模様がありました。
細石流教会ルルド跡
[細石流教会ルルド跡]
ルルド跡は、比較的きちんと残っていました。
この教会と相対するように、やはり山の上に墓地がありますので、またの機会にご紹介します。
| hisakajima | 久賀島について | 00:08 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
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